BÀI ĐỌC SỐ 55 – N2

私はマネ(注1)の作品に独特の「目」を感じます。その最大の理由はどこにあるのでしょうか。

一般的な絵画の場合、ルノワール(注1)にしてもモネ(注1)にしても、我々が普通に見た時の姿が基準で描かれています。つまり鑑賞者が主役に仕上げられている絵であり、それは、「私が見ている絵」ということになります。しかしマネの作品の場合は、あくまでも絵そのものが主役に仕上げられており、それは、我々に「( A )」という気を起こさせます。おそらく、マネ自体が、独自の視点(注2)・視線で物事を捉えていたのでしょう。

有名な「笛を吹く少年」にしても、一見、普通に笛を吹いている少年の絵のような図柄であり、少年の目が特別鋭くこちらを見ている絵でないにもかかわらず、どこからみても、①なぜかこちらをじっと見られているような気になります。他の作品にしても、いずれも絵そのものに、非常に強い主張が感じられます。

マネはまた、純粋絵画を目指した画家でした。それは、絵を鑑賞する際のあらゆる解釈を取り除き、絵そのものの存在感だけを追求したということです。「解釈は関係ない。そこに絵が存在する」。彼の絵があれほど主張を感じさせるのは、②そこからきているのでしょう。

 

(注1) マネ、ルノワール、モネ:19世紀から20世紀はじのフランスの画家

(注2) 視点:物事を見たり考えたりする立場

1 ( A )に入れるのに最も適当な語句はどれか。

1 絵に見られている

2 私たちが見ている絵

3 絵を見ている私

4 私に見られている

 

2 ①なぜかこちらをじっと見られているような気になります とあるが、どういうことか。

1 視線が鑑賞者に向いているということ

2 少年に独自の視線があるということ

3 論理的には解釈ができないということ

4 絵画自体に存在感があるということ

 

3  ②そことは何を指すか。

 

1 マネの絵画が鑑賞者たちに純粋な印象を強く与えるところ

2 絵画の方から鑑賞者を見ているように感じられるところ

3 現実の鑑賞者の前に絵画そのものが存在しているところ

4 鑑賞者による解釈の可能性が意識的に除かれているところ

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