Entries by tran cong

Đề thi tiếng Nhật 1991 – Đọc hiểu và ngữ pháp 2Kyu

読解・文法   (200点 70分) 5.問題には解答番号の①、②、③…    が付いています。解答は、解答用紙にある同じ番号の解答欄にマークしてください。 Mỗi một số 1, 2, 3…được cho là tương ứng với mỗi câu hỏi. Đánh dấu câu trả lời của bạn vào cùng hàng với hàng của tờ đáp án 問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1234から最も適当なものを一つ選びなさい。 私たちが物を食べたとき、その前と後で私たちの体重はどのように変化するのだろうか。例えば、いま100gのくだものを食べたとして、体重は何グラムふえるだろうか。答えは100gである。あたり前じゃないかと怒ってはいけない。それは食べたすぐ後の話なのだ。では、食べてから時間がたったらどうなるだろうか。    今から380年ほど前、あるイタリアの学者が、食べ物の重さと体重の関係を知るために、自分の体を使って体重の変化をこまかく調べた。まず、人間が乗ることのできる大きなはかりを特別に作り、その上に何日間もすわりつづけて、①食べたり飲んだり、大便や小便をしたりした。そして、そのたびに体重の変化をていねんに計って調べたのである。    最初、その学者が考えたのは、食べたり飲んだりした物の重さから、外に出した大便や小便の重さを単純に引き算した分だけ体重はふえるだろう、ということだった。ところが、実験をしてみた結果、A彼が考えていたほど体重はふえなかったのである。彼は実験に間違いがあったのかもしてないと思って何回もやりなおしてみたが、結果はやはり同じだった。②彼は困ってしまった。おそらく、食べ物や飲み物の一部は、何か目には見えない物となって体の外へ出て行ってしまったのだろう、結局、彼はそう考えた。そう、彼は③間違っていなかった。    では、④その目に見えない物となって出て行ったのは何か。一つは汗である。人間の体からは、たとえじっとしていても、一日に1kg近くの汗が外に出ていく。この汗のことについてイタリアの学者も考えていた。もう一つは息を吐くときに出る炭酸ガス、つまりCO2だ。⑤これは彼の時代よりずっと後になって、あるイギリスの学者が調べたことだが、体重68kgの人は一日に約0.7kgの酸素(O2)を取り入れて約0.82kgのCO2を出しているという。つまり、人間の体重は、呼吸をするだけで、一日に約0.12kgずつへっていくことになるわけである。    大変な苦労をして実験をした⑥学者も、残念ながら、⑦このことにまでは気がつかなかった。そのころは、空気はただ空気とだけ考えられていて、O2やCO2などいろいろな気体からできているとは考えられていなかたからである。 問(1) ①「食べだり飲んだり、大便や小便をしたりした」とあるが、だれがそれをしたのか。 1.実験をたのまれた人 2.実験を手伝った人 3.実験を見ていた人 4.実験をした人 問(2) 「困ってしまった」とあるが、なぜ困ってしまったのか。 1.計算するのが大変だったから。 2.期待どおりの結果が出なかったから。 3.実験に間違いがたくさんなったから。 4.何日間も動くことができなかったから。問(3) ③「間違っていなかった」とあるが、何が間違っていなかったのか。 […]

Đề thi tiếng Nhật 2009 – Từ vựng 1kyu

文字・語彙 (100点 45分) 問題には解答番号の①②③… が付いています。解答は、解答用紙にある同じ番号の解答欄にマークしてください。 Mỗi một số 1, 2, 3…được cho là tương ứng với một câu hỏi. Đánh dấu câu trả lời của bạn vào cùng hàng với hàng của tờ đáp án. 問題Ⅰ 次の文の下線をつけた言葉は、どのように読みますか。最も適切読み方を、それぞれの1.2.3.4 から一つ選びなさい。 問1・(1)脚本が (2)芝居の面白さを決めると言えよう。 (1). 脚本 1. きょくぼん 2. きょくほん 3. きゃくほん 4. きゃくぼん (2). 芝居 1. ぼうきょ 2. […]

Đề thi tiếng Nhật 2009- Đọc hiểu và ngữ pháp 1Kyu

読解・文法 (200点90分) 問題には解答番号の①、②、③… が付いています。解答は、解答用紙にある同じ番号の解答欄にマークしてください。 Mỗi một số 1, 2, 3…được cho là tương ứng với một câu hỏi. Đánh dấu câu trả lời của bạn vào cùng hàng với hàng của tờ đáp án. 問題Ⅰ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。 消費の個人主義化は、ある意味では消費の民主化と言い換えることもできる。そ の結果生ずる、ものの個人所有は、所有の民主化だといえるかもしれない。また、 所有の民主化は、個々人をますます(注1)ばらばらの存在にしていく。(中略)もの によってしきりができるからだ。ひとつの道具を(注2)共有することは、の好むと好 まざるとにかかわらず、共有しているメンバ-との集団的なつながりが形成される。 「平等な消費」という思考は、{1}個人の欲望にしたがった消費を許すということ で、それは集団主義(全体主義)から個人主義への流れを強化していった。こうし た傾向は、社会的な共同体たけではなく、家庭にまで及んだ。{2}それは、さまざま 名もののデザインによても見ることがでるる。多くのものが、集団で使うことよ りも個人で使用できるようなデザインになっていった。小型のラジオや電話は、(注3) パ-タブルになった結果、その使い方が変化したが、それだけではなく、使用者 を個人化したのである。 携帯電話の出現は、家を単位としていた{3}電話の概念を根底から変えてしまった。 電話の(注4)子機の段階では、家の電話とつながりを待っていた。携帯は家とのつ ながりをしきってしまったのである。携帯電話の持ち主がはたして住居に住んでい るかどうかもわからない。 電車やバスなとの公共交通機関の中では、携帯電話の使用の禁止を呼びかけている。心臓の(注5)ペ-スケ-カ-に悪い影響を与えるからと呼びかけているが、禁 止についての明確な理由はあまり説得的ではないようだ。結局、多くの携帯電話使 用者は、電話による会話ではなく、メ-ルを使うようになった。({4})携帯電話で コミュ-ニケ-ションしていることには変わりない。どれほど、多くの他人に囲まれ […]

Đề thi tiếng Nhật 2008 – Từ vựng 1kyu

文字・語彙  (100点 45分) 問題には解答番号の①②③…    が付いています。解答は、解答用紙にある 同じ番号の解答欄にマークしてください。 Mỗi một số 1, 2, 3…được cho là tương ứng với một câu hỏi. Đánh dấu câu trả lời của bạn vào cùng hàng với hàng của tờ đáp án. 問題Ⅰ 次の文の下線をつけた言葉は、どのように読みますか。最も適切読 み方を、それぞれの1.2.3.4 から一つ選びなさい。 問1・[1]大幅に [2]削減された予算の[3]枠内でそのプランを成功させるため、いろいろと[4]工夫を重ねている。 (1).大幅 1.だいはば 2.だいふく 3.おおはば 4.おおふく (2).削減 1.しょうげん 2.しゅくげん 3.けいげん 4.さくげん (3).枠内 1.すいない 2.そつない […]

Đề thi tiếng Nhật 2008 – Đọc hiểu và ngữ pháp 1Kyu

読解・文法  (200点90分) 問題には解答番号の①、②、③…    が付いています。解答は、解答用紙に ある同じ番号の解答欄にマークしてください。 Mỗi một số 1, 2, 3…được cho là tương ứng với một câu hỏi. Đánh dấu câu trả lời của bạn vào ô trống bên dưới. 問題Ⅰ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最 も適当なものを一つ選びなさい。 秋に入ると学校では、①読書週間という奇妙な週がやってくる。普段は図書館に足を踏み入れもしない子どもたちが、みんな指定の図書を探して、嫌々やってくるのを僕は不思議に眺めていた。読みたくない本を読んで感想文を書け、と先生から指令がくだるのだ。 先生に言われなくても、僕は昔から本の虫だった。読書週間の標語を読むと、 「読書は世界の見える窓」「本は心の栄養」 などと利益を謳(うた)った文句が並んでいる。先生は、読書をする子はよい子で、頭がよくなると自信を持って勧めていた。頭をよくするのは教育者の仕事だ。その義務を忘れて本に子どもを教育してもらおうとするのは(注1)怠惰(たいだ)な職務放棄にすぎない。僕は(注2)一発でこの先生の能力を疑った。 僕は所謂(いわゆる)アタマのいい子だった。子どものしがちな無茶なことはせず、大人の命令に逆らわない(注3)従順(じゅうじゅん)な児童だった。教室の壁には誰が何冊本を読んだか、という(注4)営業マンのようなグラフが作成され、能力を競っていたように思う。馬鹿馬鹿(ばかばか)しいと嗤(わら)っていると(注5)白羽(しらは)の矢が僕に刺さった。 「彼は本を読むから成績がいいんです!」 先生は僕を象徴にして読書を推進しようとしている。②それは大きな間違いだ。僕の成績 がよかったのは普段真面目に授業を聞いているからだし、きちんと家で勉強していたから だ。他の小学生は(注6)のびのびと育っていて、誰も勉強などしないから、差が出るのは当 然のことだった。 読書をすれば賢くなるという(注7)幻想(げんそう)は、どうして出来上がったのだろうか。僕はその 誤解の(注8)根源(こんげん)を子どもたちに見た。いつも図書館に現れない子どもは無理に広げた本を 前に(注9)煩悶(はんもん)しているではないか。これはほとんど(注10)拷問(ごうもん)に近いものがある。(③) 彼らは勉強の姿勢で本を読んでいるのだ。こんな読み方では楽しくないだろう。 本の楽しみとは、ここではないどこかに飛んでいける冒険につきる。旅行の楽しみと読 書は近いものがある。僕は本で冒険をし、知らない世界に旅をした。 (中略) 人は誰もが「もうひとつの世界」を夢みる。新しい環境、新しい政治、新しい自分、誰もが現実の中に小さな(注11)違和感(いわかん)を抱えて、変化を望み、そしてこの現実は簡単に変わることがないと諦(あきら)めている。そんなとき最も安価(あんか)で確実な変化をもたらしてくれるのが、読書なのだ。 読書とは教育ではなく、(注12)世知辛(せちがら)い現実を捨てて、豊かな世界に耽(ふけ)ってしまう人の (注13)性(さが)であり、現実を忘れさせる合法(ごうほう)的な(注14)麻薬(まやく)である。 「彼らはまだ勉強をする義務がある。子どもに本の味を教えるのはちょっと早いかもし れない」 […]

Đề thi tiếng Nhật 2006 – Từ vựng 1kyu

文字・語彙   (100点 45分) 問題には解答番号の①②③…    が付いています。解答は、解答用紙にある同 じ番号の解答欄にマークしてください。 Mỗi một số 1, 2, 3…được cho là tương đương với mội câu hỏi.. Đánh dấu câu trả lời vào cùng hàng với hàng của tờ đáp án. 問題Ⅰ 次の文の下線をつけた言葉は、とのように読みますか。その読み方 を、それぞれの1 2 3 4 から一つ選びなさい。 問1・この製品の国内市場はすでに飽和状態になっており、海外の市場を開拓する必要に迫られている。 (1) 飽和 1.しょくあ 2.しょくわ 3.ほうあ 4.ほうわ (2) 開拓 1.かいさい 2.かいせき 3.かいたく 4.かいほう (3) […]

Đề thi tiếng Nhật 2006 – Đọc hiểu và ngữ pháp 1Kyu

読解・文法  (200点 90分) 問題には解答番号の①、②、③…    が付いています。解答は、解答用紙にあ る同じ番号の解答欄にマークしてください。 Mỗi một số 1, 2, 3…được cho là tương đương với mội câu hỏi.. Đánh dấu câu trả lời vào cùng hàng với hàng của tờ đáp án. 問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。 小説が人間の生きる現実の上に成リ立つものである以上、その生と死を絶対的に縛る<時間>から解き放たれることはあり得ない。というよリ、より広大な、より豊潤な<空間>に向けて飛び立ち、漂い出すことを夢みながら、常に腰につけた<時間>の皮肉な命綱によってその世界を守られ、限られ、狭められているのが、小説なるものの運命なのではあるまいか。 (中略)小説がそのように<時間>に固く結ぴつけられているとはいっても、小説の中で生きて動いているのは日めくりカレンダーや柱時計ではなく、登場人物としての人間達である。(    1)もとより、現実生活においても<時間>が見えるわけではない。見えない<時間>をなんとか目に映るものにしようと努力して、人間は暦や時計を生んで来たのだろう。( ① )、小説の中で時の(    2)推移を見えるものとするのは、暦や時計それ自身ではなく、溜息をつきながら暦をめくり、不安げな表情で壁の時計を見あげる、あれこれの人物達に他ならない。(    3)極言すれば、ここでは人間そのものが、ある意味では暦であり時計であるともいえる。とはいっても、人間を単なる<時間>の(    4)函数として考えようとするのではない。むしろ、 人間の存在とは、そのままごく自然に<時間>の表現でもある    たとえば、こんなことがあるだろう。---1軒の家で暮す一つの家族を描く時、幼い子供達がいる。その父親ヒ母親がいる。この親子は時間の(    5)連鎖の中で生れて来たものである。つまリ、父親となる男性と母観となる女性がいたから、はしめて子供達が生れて来たわけである。よくいわれるところの核家族とはこの2世代によって構成される家族のことだ。そこでは、いわば 原因と結果が最短距離で向き合い、最小単位の家族を構成しているといえる。 その家族に、更に上の世代、祖父なり祖母なりが加わるとする。 3世代の家族が生れる(注6)に比してこちらでは親と子の関係が相対化してくる。ある家族にとって必ずしも必要なものとはいえないこの年寄りの存在は、しかし一方では(    7)当の家族にとってまさに<時間>そのものに他ならぬともいえるのではないか。親と子がただ二つの世代で向き合っていた際にはあまりに原因・結果の結びつきが直接的であったためによく見えなかった<時間>の姿が、祖父母を加えることによって俄かに立体的なものとして浮かび上って来るということはないだろうか。 年寄り達は、( ⑤ )という事実を示すことによって時の不思議な影を孫達に(    8)垣間見せるとともに、自らの古さを通してもそこに降り積んだ時の(   […]