BÀI ĐỌC SỐ 37 – N2

一つの仕事をやるについて、いろいろな選択肢があり、その中に「今までどおりやる」というのがあると。放っておけば、ほとんどの人はそのやり方をとるでしょう。それでそこそこの成果があがるのだから、なにも未知の方法に挑んで苦労することはないというわけです。

それがべストの方法かどうか、あるいはほかにもっと能率的にできる方法があるかもしれないのに、①そういうことは考えもせず、ひたすら②一番楽な従来どおりのやり方を続けていこうとする。人間には習性として、そういう傾向があるものです。

しかし、そのようにやり方が決まってしまうと、みんなものを考えなくなって、たとえそのやり方が時代に合わなくなってきても、おかしいとも思わなくなってしまいます。

こうなると、もはやその組織に進歩はありません。下手をすれば、時代遅れの組織になって、競争に負けてしまうでしょう。官庁病とか大企業病などと言われるように、組織というのは放っておくと、それこそあっという間に動脈硬化

とくに管理者は、いまのやり方でいいのか、時代に合っているか、もっと能率的な方法があるのではないか……いかなる種類の仕事であっても、そのことを常に考えていかなければなりません。

 

②一番楽な従来どおりのやり方とはどんなやり方か。

1 成果があがるやり方

2 一番能率的にできるやり方

3 時代に合ったやり方

4 以前と同じやり方

BÀI ĐỌC SỐ 36 – N2

一つの仕事をやるについて、いろいろな選択肢があり、その中に「今までどおりやる」というのがあると。放っておけば、ほとんどの人はそのやり方をとるでしょう。それでそこそこの成果があがるのだから、なにも未知の方法に挑んで苦労することはないというわけです。

それがべストの方法かどうか、あるいはほかにもっと能率的にできる方法があるかもしれないのに、①そういうことは考えもせず、ひたすら②一番楽な従来どおりのやり方を続けていこうとする。人間には習性として、そういう傾向があるものです。

しかし、そのようにやり方が決まってしまうと、みんなものを考えなくなって、たとえそのやり方が時代に合わなくなってきても、おかしいとも思わなくなってしまいます。

こうなると、もはやその組織に進歩はありません。下手をすれば、時代遅れの組織になって、競争に負けてしまうでしょう。官庁病とか大企業病などと言われるように、組織というのは放っておくと、それこそあっという間に動脈硬化

とくに管理者は、いまのやり方でいいのか、時代に合っているか、もっと能率的な方法があるのではないか……いかなる種類の仕事であっても、そのことを常に考えていかなければなりません。

 

①そういうこととはどんなことか。

1 もっと良い方法があるかもしれないということ

2 ほんとどの人かいままでのやり方をとるということ

3 いまのやり方がベストの方法であるということ

4 未知の新しい方法に挑んだら苦労するということ

BÀI ĐỌC SỐ 35 – N2

「まじめさ」というものはある意味で危険です。というのは、まじめな人ほどよく悩むからです。

まじめな人間は、他人からの「期待」に応えようとして悩むのですね。

他人からの「期待」といっても、それは明文化(注)されていません。私たちは幼少のころから、「いい子」になりなさい、「立派
 

筆者によると、「期待」に応えることはむずかしいのはなぜか。

1 時代によって他人の期待は変化するものだから。

2 「いい子」や「立派な人」になるのは時間がかかるから。

3 場合や人によって期待することが変わるから。

4 他人が「いい子」や「立派な人」になることを常に期待するから。

BÀI ĐỌC SỐ 34 – N2

チンパンジー明らかにうそをつく。ふたのある箱を左右に一個ずつ置き、仕切りの向こうでこっちを見ているチンパンジーの目の前で、例えば左の箱にチンパンジーが好きなバナナを入れて、ふたを閉める。

やがて飼育人がやってくる。あらかじめ(注)チンパンジーには、この飼育人はよい人で、バナナの入った箱を指すと箱のふたを開けてバナナを取りだし、チンパンジーに渡してくれると教えてある。チンパンジーは嬉しそうに、バナナの入った左の箱を指す。

けれど、あらかじめ「悪い」と教えてある飼育人、つまりバナナをチンパンジーにくれないで自分で食べてしまう飼育人がやってくると、チンパンジーはうそをつく。チンパンジーはバナナの入っていない右の箱を指すのである。

 

チンパンジーが右の箱を指すのはなんのためか。

1 飼育人に教えてバナナをもらうため

2 飼育人に教えてバナナを食べさせるため

3 飼育人をだましてバナナをもらうため

4 飼育人をだましてバナナを食べさせないため

BÀI ĐỌC SỐ 33 – N2

これはビジネス文書に限ったことではないのだが、何であれ文書を書いていると、少しばかり緊張感

これ、ひどく下手な書き方じゃないだろうか。これで分かるかな。そういう気がしきりに(注1)し て、ちょっとしたプレッシャーになっている。だからこそ、文章を書くのは苦手だ、と思っている人もいるのじゃないだろうか。しかし、その逆もまた真であ る。文章を書く面白さとは、そういうプレッシャーを感じながら、なんとか諸問題をクリアして、一応のものを書き上げることにあるのだ。

テレビゲームが楽しいのと同じ理屈(注2)である。あれは、攻略する(注3)のが簡単ではない様々な障害をかわしながら(注4)、次々に問題を解決していって、なんとかクリアしていくところが面白いのである。むずかしいからこそ、うまくやったときに楽しいのだ。

文章を書くのも、①そういうことである。これでいいのかな、と一抹の(注5)不 安を抱えながら、なんとか書いていくってことを楽しまなければならない。別の言い方にすると、文章というものは、書く人に対して、うまく書いてくれ、と要 求してくれるのである。なぜなら、文章とは人と人とのコミュニケーションの道具だからだ。この例外の文章は、必ず、書く人間のほかに、②読む人間がいて完成されるのだ。そして、書いた人の伝えたかったことが、読んだ人にちゃんとわかってこそ、文章は役をはたしたことになる。

 

(注1) しきりに:何度も

(注2) 理屈:ここでは、考え方

(注3) 攻略する:うまく解決する

(注4) かわしながら:避けながら

(注5) 一抹の:ほんの少しの

 

4 筆者は、文章を書くときに何がプレッシャーになっていると述べているか。

1 このまま最後まで書き上げられるか不安だという気持ち

2 読む人が期待する書き方をしているかという気持ち

3 自分は字を書くのが下手だから嫌だという気持ち

4 書きたいことがうまく書けているかという気持ち

 

5 ①そういうことであるとはどういうことか。

1 様々な障害をクリアしていくことがむずかしい。

2 プレッシャーを忘れ、いろいろ考えるのが楽しい。

3 苦労して問題を片付け課題を仕上げるのが楽しい。

4 不安を抱えたままでは問題解決するのがむずかしい。

 

6 ②読む人間がいて完成されるとはどういうことか。

1 文章の価値を決めるのは読み手の存在だ。

2 文章が成立するには読み手の存在が必要だ。

3 文章は人に読まれることでよりよいものになる。

4 文章は読み手の要求にこたえることでできあがる。

BÀI ĐỌC SỐ 32 – N2

現代は、①時間がどんどん加速されているとも言われます。何事にも「早く、早く」とせかされ(注1)、時間と競争するかのように忙しさに追われていることを、大人たちはこういう言い方をしているのです。いつも同じ速さで時間が流れているはずなのに、時間の間隔が短くなったような気分で追い立てられて(注2)いるためでしょう。それをエンデ(注3)は「モモ」という作品の中で「時間どろぼう」と呼びました。ゆっくり花を見たり音楽を楽しんだりする、そんなゆったりした時間が盗まれていく、という話でした。②いつも何かしていないと気が落ち着かない、現代人はそんなふうになっています。その一つの原因は、世の中が便利になり、能率的になって、より早く仕事を仕上げることがより優れていると評価されるようになっているためと思われます。競争が激しくなって、人より早くしなければ負けてしまうという恐れを心に抱くようになったためでしょう。「時間はお金より」となってしまったのです。

しかし、それでは心が貧しくなってしまいそうです。何も考えずにひたすら決められたことをしていて人生が楽しいはずがありません。ゆっくり歩むからこそ、道ばたに咲く花に気づいたり。きれいなタ日を楽しむ気分になれるのです。私たちは、時間を取り返し、もっとゆったりした時間を生きる必要がありそうですね。

 

(注1) せかせれる:急がされる

(注2) 追い立てられる:ここでは、何かをしないではいられない気持ちにさせられる

(注3) エンデ:ドイツの児童文学者

 

1 ①時間がどんどん加速されているとはどういうことですか。

1 しなければならないことが多くて時間が短く感じられる。

2 何かに夢中になっていると一日の時間が短く感じられる。

3 作業能率が上がって一日の仕事の時間が短く感じられる。

4 技術の進歩によって仕事にかかる時間が短く感じられる。

 

2 ②いつも何かしていないと気が落ち着かない原因を筆者はどう考えているか。

1 何もしないと心が貧しくなってしまうと感じること

2 早く何かを仕上げないと他の人に勝てないと思うこと

3 矢った時間を取り戻さないと競争に負けてしまうと思うこと

4 奪

 

3 筆者は、時間の使い方についてどのように考えているか。

1 時間は貴重なので、休むときにも能率的に過ごしたほうが良い。

2 忙しい中にも、のんびり過ごす時間をできるだけ持ったほうが良い。

3 人生を楽しむためには、ひたすらゆっくり時間を過ごしたほうが良い。

4 人との競争に勝つためには、時間をもっと有効に使うようにしたほうが良い。

BÀI ĐỌC SỐ 31 – N2

いつも疑問に思うことがある。①誰もが「日本」や「日本経済」を問題にすると、それはどうしてなのだろう、ということだ。テレビの討論番組などでも、雑誌や新聞の特集でも、問題とされ、議論の中心となるのはたいてい「日本」だ。日本はどうすればいいのか、日本は元気になるために何が必要なのか、日本経済の再生のためには何が足りないのか……。

日本は変わらなければならない、というようなことを言う人を見るたびに、「どうやって変えると言うんだ、そんなことを言う前に②お前が変われ」と思う。活力やビジョン(注1を失っているのは、一人一人の個別の人間であり、企業であり、自治体や地域ではないのか。たとえばわたしの故郷の佐世保市や長崎県は、七〇年代から続く造船不況の影響もあって、帰郷するたびに寂れていくのがわかる。

だが、「佐世保市や長崎県の経済をどうやって再生するのか」とは誰も問わない。造船業をどうやって再生するかという議論も見たことがない。個別の企業、たとえばダイエーのように巨大な有利子負債を抱えた企業をどうやって再生すればいいのか、答えを示すエコノミスト(注2)はいない。産業の問題だけではない。たとえば教育でも、荒廃しきっている個別の学校やクラスのことは具体的に問題になることがない。ナイフを出して向かってくる児童生徒に対しては自衛のための暴力が許されるのかどうか、そういった議論もない。

「日本」の問題は解決すれば、個人の問題も、個別の企業の問題も、個別の自治体の問題も解決するのだろうか。長崎県やダイエーの経済的再生よりも、「日本」の経済的再生のほうが簡単のだろうか。

最近わたしは、「日本全体」のソリューション(注3)について議論する人たちが胡散臭く(注4)思えるようになってしまった。個人や、個別の企業や自治体についてのソリューションを口にすれば、何らかの形での「責任」が発生する。だが、日本のこと、日本経済のことは、いくら批判したり提言したりしても、責任を取る必要がないのである。

 

(注1)   ビジョン:将来への計画

(注2)   エコノミスト:経済の評論や分析の専門家

(注3)   ソリューション:解決方法

(注4)   胡散(うさん)

 

1 筆者によると①誰もが「日本」や「日本経済」を問題にするのはなぜか。

1 これが解決すれば個別の問題も解決するから

2 発信に責任を取らなくてもいいから

3 この問題のほうが簡単に解決するから

4 誰にも責任のある重大な問題から

 

2 ②お前とはだれのこと。

1 テレビの視聴者や、新聞、雑誌の読者

2 話を聞いている筆者

3 日本全体についての意見を述べる人

4 元気をなくした一人一人の個別の人間

 

3 筆者がこの文章で一番言いたいことはどんなことか。

1 日本全体を議論しても、具体的な個別の問題は解決しないのだから、そんな議論をするのは無責任だ。

2 個別の問題についてひとつひとつ解決しても日本全体はよくならないが、日本全体についてもっと真剣に議論すべきだ。

3 日本全体が変われば、自動的に個別の問題も解決していくのだから、人々は責任を持って批判や手遺言を行うべきだ。

4 日本全体について議論することは大きな責任をともなうが、日本経済のことについては、誰も責任を取る必要はない。